:かつて多くの子ネズミを従える大ネズミが村に住みつき、田畑を荒らし回っていた。困った村人たちは大きなネコ(唐猫)をけしかけ、大ネズミを岸壁まで追い詰める。大ネズミは死に物狂いで岩壁を食い破ると、湖の水がほとばしり、大ネズミや子ネズミ、そして唐猫ともども流れ去った。
岩鼻付近には「鼠」という地名があり、一説にはこの伝承に由来すると考えられている<ref name="legend" />(かつて信濃国の国府への狼煙台があった場所、すなわち「不寝見」に由来するという異説もある)<ref>『角川日本地名大辞典 20 長野県』874ページ。</ref>。'''鼠大神'''という神が、大穴持命(おおなむらのみこと)として千曲川の傍に鎮座していたが、現在は會地早雄神社(おおじはやおじんじゃ)に合祀されている<ref>會地早雄神社の大穴持命以外の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、泉津事解男命(よもつことさかのうのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)とされていて熊野系の神々が祀られている。會地早雄というのは諏訪系の出早雄命かあるいは賀茂系の味耜高彦根神であると考える。熊野に関連するなら、かつては熊野の家都御子神(けつみこのかみ)が味耜高彦根神と考えられていたこともあったかもしれないと思う。(少なくとも高野御子は味耜高彦根神のことだと管理人は考えている。)でも、どのみち、出早雄命も味耜高彦根神も須佐之男も「同じ神」とすることが可能な神々群と思う。熊野といえば修験道であるが、鼠大明神や會地早雄神社には四阿山(あずまやさん)を中心とした修験道を保護した真田氏の影響があるのではないか、と思う。(管理人)會地早雄神社の大穴持命以外の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、泉津事解男命(よもつことさかのうのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)とされていて熊野系の神々が祀られている。會地早雄というのは諏訪系の出早雄命かあるいは賀茂系の味耜高彦根神であると考える。熊野に関連するなら、かつては熊野の家都御子神(けつみこのかみ)が味耜高彦根神と考えられていたこともあったかもしれないと思う。(少なくとも高野御子は味耜高彦根神のことだと管理人は考えている。)でも、どのみち、出早雄命も味耜高彦根神も須佐之男も「同じ神」とすることが可能な神々群と思う。熊野といえば修験道であるが、鼠大明神や會地早雄神社には四阿山(あずまやさん)を中心とした修験道を保護した真田氏の影響や関連があるのではないか、と思う。鼠宿は松代藩の口留番所(くちどめばんしょ)と藩主専用の本陣(普通の宿では本陣に当たるものを「御茶屋」と称し、諸大名などが通る時は御本陣と名乗っていた)が置かれたことから始まった私設の宿である。松代藩の藩主は真田氏である。(管理人)</ref>。
また、伝承の中で大ネズミを追い詰めた唐猫が流れ着き、息絶えた場所である長野市篠ノ井には、「唐猫神社」(軻良根古神社)という、唐猫をまつった神社がある<ref name="legend" /><ref>長野県神社庁「[http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11042.htm 軻良根古神社]」より(2015年11月13日閲覧)。</ref>