ハイヌウェレとラビエの物語を比較すると、まず物語の構成がハイヌウェレの方が複雑で、イモ類(月)が発生する前に、アメタが狩ることで豚からココヤシが発生する物語が挿入されていることが分かる。アメタは豚を狩って、それを神に捧げることでココヤシを得た、か、あるいはそのように'''豚をココヤシに変化させる能力'''を神から授かった、といえる。あるいは、生まれながらに授かっているが故に、アメタは一般的な<span style="color:orange">'''下位トゥワレ'''</span>ではなく、特別な「<span style="color:red">'''上位トゥワレ'''</span>」である、ともいえる。その姿は、かぐや姫を大切に育てたが故に、竹取の翁が'''竹を切っただけで黄金を得る能力'''を授かったのと似ている。娘のハイヌウェレが亡くなった時に、アメタはその非道をムルア・サテネに訴えているのだから、'''アメタが仕えている神、とは「ムルア・サテネ」のことである'''、と暗喩されているといえる。このように母なる女神に忠実に仕えているアメタを特に「<span style="color:red">'''上位忠臣トゥワレ'''</span>」と呼ぶこととする。
一方、死せるハイヌウェレはアメタあるいはトゥワレと接触することでイモ(月)に変化する。アメタとトゥワレはこのように性質の一部が一致する。アメタとトゥワレで共通する点は、特にアメタを指して「<span style="color:red">'''上位鬼神トゥワレ'''</span>」と呼ぶこととする。「鬼」(キ) という漢字の原義は「死者の魂」であるので、本件での場合の「'''鬼神'''」とは「'''死んでいる神'''」のことを指す。日本語で「死神」と書くと、「死んでいる神」というよりは「他者を死なせる神」という意味になるため、「鬼神」とする。なぜ、アメタとトゥワレの共通点を指して「鬼神」とするかといえば、それはトゥワレ(とアメタ)の性質等による。ハイヌウェレが殺され、埋められる踊りは「'''夜'''」に行われる。とすれば乙女が地面の下に埋められるのは「'''夜'''」ということになる。トゥワレは太陽神であるが、夜は'''地面の下に沈んでいる'''。だから、夜であればトゥワレは地面の下から乙女を地中、すなわち'''自分の居場所'''に引きずり込むことが可能なのである。