ちなみに、日本の民間伝承では、なにがしかの食用植物が人間に化生した例としては、瓜から生まれた'''瓜子姫'''や桃から生まれた'''桃太郎'''がある。彼らは'''川'''から流れてきた食用植物から生まれる。川や湖の神は蛇で現されることがままある。日本の物語に「狩人」であり「シャーマン」である者の存在は希薄だが、アメタがハイヌウェレを育てたことを考えれば、育ての親である「おばあさん」と「おじいさん」が瓜子姫や桃太郎の化生に関する'''シャーマン'''といえる。瓜子姫や桃太郎は蛇(川)から生まれた食用植物が変化したもので、彼らもまた蛇そのものといえ、その出生はハイヌウェレと'''非常に近似して'''いる。
アメタは夢のお告げによりココヤシの実を植えたが、お告げをした者の正体は明らかではない。可能性としてはバナナの女神であるムルア・サテネか、あるいは男性の太陽神トゥワレであろうと思われる。アメタはこのように、神々とも交流できる'''シャーマン'''である、といえる。また、ココヤシの実にアメタの血が触れると、ヤシの実から乙女ハイヌウェレが生じる。そうなると、「'''イノシシとココヤシとハイヌウェレは同じ物'''」といえる。血はアメタの'''体液'''であり、'''アメタの分身''''でもある。これは'''精液(の代わり)'''ともいえるかもしれない。イノシシとココヤシが'''女性'''といえるかどうかは定かでないが、'''ココヤシとアメタの結合'''からハイヌウェレは生まれている。ハイヌウェレの死と共に、人々にも死(寿命)というものが訪れたのであれば、ハイヌウェレは「不死」の象徴でもあり、イモ類に変化しなければ人々は彼女と同じ存在でいられたが、人々はイモ類を手に入れる代わりに不死を失ってしまっている。イモ類は'''食料でもあるが、人々に死をもたらすもの'''でもあるのである。ハイヌウェレの死と共にムルア・サテネも人々の世界から姿を消す。ハイヌウェレとムルア・サテネが「でもあるのである。ハイヌウェレの死と共にムルア・サテネも人々の世界から姿を消す。以上からハイヌウェレとムルア・サテネが「'''同一のもの'''」であることが示唆される。「'''地面の中へ姿を消す乙女'''」が'''月'''であるならば、ムルア・サテネも「月」である。バナナの姿は「三日月」を暗喩するともいえる。
すなわち、月の女神であるムルア・サテネは「'''イノシシ・ココヤシ・蛇を介し'''」更に'''アメタと結合する'''こと、で人の世界にハイヌウェレとして生まれ出る。しかし、太陽神トゥワレとの結合で、「死んだ月の女神」と「イモ類」に変化してしまう。イモ類は「母なる女神の死体」であり、母女神の死体を食べる人々にも死の運命が訪れる。ムルア・サテネは人々に己の死体を食べさせ、利用させる代わりに、人々の命を奪うのである。しかし、それは「太陽神トゥワレ」の命を奪うことにもつながるはずである。人々は「トゥワレの化身」でもあるからである。