<ref>{{Citation |和書|author=|editor=皇国敬神会|year=1922|month=12|title=全国有名神社御写真帖|chapter=官幣大社熱田神宮|publisher=皇国敬神会|url={{NDLDC|966854/10}} 国立国会図書館デジタルコレクション|ref=全国有名神社写真}}</ref><ref>[[#岩波1994二巻|岩波、日本書紀(2)]]108頁(本文)、109頁(注六)</ref>。
スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を[[高天原]]の[[アマテラス]]に献上した<ref name="奪神器13">[[#奪三種神器|奪われた三種神器]]13-14頁「三種神器の由来」</ref><ref>[[#藤田少年|少年少女日本建国物語]]コマ38-39(原本53-54頁)</ref>。
続いて[[天孫降臨]]に際し他の神器と共に[[ニニギ|ニニギノミコト]]に託され、地上に降りた<ref>[[#講談次田上|講談社学術文庫、古事記(上)]]176-177頁「三 天孫の降臨」</ref><ref>[[#西郷注釈1975-02|西郷1975、古事記注釈二巻]]241-242頁「四 神器」</ref>。
[[崇神天皇]]の時代に草薙剣の[[形代]]が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り<ref>[[#納富、人皇|皇国の肇め(人皇巻)]]コマ42(原本64-65頁)「一、笠縫宮」</ref><ref name="福永1巻、今宝剣" />、本来の神剣は[[笠縫邑|笠縫宮]]を経由して、[[伊勢神宮]]に移されたという<ref name="奪神器13" /><ref>[[#納富、人皇|皇国の肇め(人皇巻)]]コマ50-51(原本81-82頁)「三、皇大神宮の御造營」</ref>。
[[景行天皇]]の時代、伊勢神宮の[[倭姫命|ヤマトヒメノミコト]]は、東征に向かう[[ヤマトタケル]]に神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す<ref>[[#納富、人皇|皇国の肇め(人皇巻)]]コマ58(原本96頁)</ref><ref>[[#西郷注釈1988-03|西郷1988、古事記注釈三巻]]304-305頁「四 草なぎの剣のこと」</ref>。ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなく[[宮簀媛|ミヤズヒメ]](ヤマトタケル妻)と[[尾張氏]]が[[尾張国]]で祀り続けた<ref>[[#講談次田中|講談社学術文庫、古事記(中)]]145-148頁「五 倭建命の東国征討」</ref><ref>[[#篠田1968熱田|篠田、熱田神宮]]24-25頁「熱田神宮の起こり」</ref>。これが[[名古屋市|名古屋]]・[[熱田神宮]]の起源である。熱田の御神体として'''本体の草薙剣'''が祀られている<ref>[[#千家出雲学生社|出雲大社、学生社]]53頁「天叢雲剣」</ref><ref>[[#納富、人皇|皇国肇め(人皇巻)]]コマ68(原本117頁)</ref>。
== 参照 ==