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408 バイト追加 、 2022年6月21日 (火) 08:18
<blockquote>宿儺は、乗鞍岳を信仰の山としました。乗鞍岳山頂直下にある権現ヶ池に住民を集めて、'''登る太陽の光を水面に映し、その光を抱くようにして崇拝した'''。そのため、丹生川村の乗鞍岳山麓(東部地区)の神社のほとんどが日抱神社(現在は伊太祁曽神社と呼ばれているところもある)と呼ばれていて、神社は乗鞍岳を正面に向いていた。(飛騨ぶり街道物語、岐阜新聞社、p89)</blockquote>
明確ではないが、「日抱御魂鎮」は両面宿儺が始めた、という伝承があるようである。乗鞍岳は丹生川地区から見て東(太陽が昇る方向)にあるので、'''太陽信仰と水神信仰が習合した信仰'''といえる点で興味深い。丹生川の伊太祁曽神社のほとんどは祭神が五十猛神であり、現在乗鞍岳の頂上に祀られているのも五十猛神であるので、太陽信仰兼水神信仰が、木の神である五十猛神とどのように連続して関連していくのか、「といえる点で興味深い。また「日抱」とは、太陽の神が誰かを抱くのではなく、祭祀者(両面宿儺とその信者達(この場合は村人))が日の光を抱く、という意味であることが分かる。紀州の伊太祁曽神社では「女神が幼児を抱く図像」が残されているそうなので、'''紀州と飛騨丹生川で「抱く」という意味が異なる'''点、また丹生川の伊太祁曽神社のほとんどは祭神が五十猛神であり、現在乗鞍岳の頂上に祀られているのも五十猛神であるので、太陽信仰兼水神信仰が、木の神である五十猛神とどのように連続して関連していくのか、「'''語られない点'''」もまた興味深い(管理人)。
== 伝承の位置づけ ==

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