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695 バイト追加 、 2022年6月14日 (火) 06:25
六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷(けいしょう)で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命(すめらみこと)に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣(わにうじ)の祖、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わしてこれを誅した。</blockquote>
両面宿儺は、計八本の手足に頭の前後両面に顔を持つという奇怪な姿で描写される。神功皇后に滅ぼされたとされる羽白熊鷲<ref>『日本書紀』仲哀天皇九年「且荷持田村[荷持此云能登利]有羽白熊鷲者 其爲人強健 亦身有翼 能飛以高翔 是以不從皇命 毎略盜人民」</ref>や、『日本書紀』『風土記』にしばしば現れる土蜘蛛と同様、その異形は、王化に服さない勢力に対する蔑視を込めた形容とも考えられる。仁徳紀の記述は一般に、大和王権の勢力が飛騨地方の豪族と接触した、5世紀における征服の事実の反映とされている<ref>『岐阜県史 通史編古代』第1章第1節。</ref>。しかし、'''飛騨地方において4世紀には既に三日町大塚古墳や亀塚古墳などが築造されており'''、時期的に一度朝廷の勢力圏に組み込まれた後、何らかの反乱が起こり、そのときの服属過程を表すものと見たほうが良いとの指摘もある<ref name="houga">宝賀寿男「[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/ryoumen/ryoumen1.htm 両面宿儺と飛騨国造]」『古樹紀之房間』、2010年。</ref>。また、「ひかがみ」「かかと」が無いという描写から、脛当てを着け、足半草履状のつまがけ(爪皮:つまがわ)を履いた飛騨の山岳民が想像されることもある<ref>八賀晋「飛騨の英雄両面宿儺」(森浩一〔他〕著『伝説に歴史を読む』大巧社、2006年)</ref>。
 
=== 「匠」の歴史 ===
奈良時代には、飛騨は租庸調制の中で、織物を免じられる代わりに都で大工仕事を行うように求められているので、遅くとも7世紀には、飛騨は木工芸に優れた「匠」の地として知られていたように思う。5世紀中頃に飛騨地方に古墳を作る文化を持つ人達が移住したのであれば、それはその当時としては木工芸に先進的な技術を持つ紀州からの職人や技術の移動もあった、と見るべきだと思うし、そういう人達が古墳に眠る人達が、生前住んでいた建物を建てた、と言えなくはないだろうか。
== 岐阜県の在地伝承 ==

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