創始年代は明らかではないが、恐らく添御縣の国魂神を添縣主(姓氏録・旧事本紀に津速魂命男(武乳遺命)の裔)が祀っていたものであるとされる。また、当社鎮座地付近は古代豪族である小野氏が治める村里であったとされ、小野氏の氏神として祭祀されたものともされる。史料での初見は、[天平2年(730年)の『大和国正税帳』で「添御県 神戸 稲152束8把、租20束、合172束8把」と記載されている。『延喜式神名帳』では大社に列しており、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸期は牛頭天王社と称されていた。
古老の口伝には、武乳速之命は大和の先住民の首長・[[長髄彦]]で、[[神武東征]]による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る先住民を説き伏せた上自害し、これを惜しんだ遺民が当地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。しかし[[明治時代]]以降、[[神武天皇]]敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り改称したというで、神武東征による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る先住民を説き伏せた上自害し、これを惜しんだ遺民が当地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。しかし明治時代以降、神武天皇敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り改称したという<ref>「添御縣坐神社」『奈良県神道青年会』</ref><ref>{{Citation|title=『長髄彦』宮司が語る衝撃の事実|last=神旅|date=2024-02-23|url=https://www.youtube.com/watch?v=PXa6QH0oYs4|access-date=2024-11-24}}</ref>。
=== 神階 ===
*[[天安 (日本)|天安]]3年([[859年]])[[1月27日]]、従五位下から従五位上 (『[[日本三代実録]]』)天安3年(859年)1月27日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』)- 表記は「添御縣神」。
== 文化財 ==
=== 重要文化財(国指定) ===
*本殿 - 永徳3年([[1383年]])の建立。明治40年([[1907年]])指定永徳3年(1383年)の建立。明治40年(1907年)指定<ref>明治40年8月28日内務省告示第93号(参照:[{{NDLDC|:2950596}} 国立国会図書館デジタルコレクション])</ref>
== 境内社 ==