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と、それを'''素直'''に、受け取ったり、あるいは拒否したりしただろうか。とりあえず受け取っておいて、'''変なものに勝手に作り替えていないだろうか'''、後の仏教のように、と思うのである。なぜなら、日本ではローマ・カトリックの影響と思われる「女神信仰の弾圧」はあったと思われるが、結局全体的には女神信仰は残ったし、一神教への神々の統一もなかったからである。そして、そのように作り替えてしまったものがあるのだとすれば、それはもうローマ・カトリックともキリスト教とも呼ぶべきではないと考える。だったらそれは、ローマの思想や文化の影響を受けた日本独自の「'''ローマ教'''」と呼ぶしかないのではないだろうか。
 
=== 丹波・丹後の例 ===
古代日本における「女神信仰の変貌」は、大きく3系統に分かれるように思う。九州の[[七夕神社]]では、神の座所を定めるのに幡を投げて占った、という故事がある。これが丹後では「女神が授けた矢」に変貌しているし、一般的に「白羽の矢」とは人身御供を定める矢のこととされることが多い。竹野神社では、災害を起こす大蛇に天照大御神が斎宮をめあわせようとする話、要は生け贄としようとする話も伝わる。このように一つには女神は
 
「矢の女神」であり「人身御供を定める女神」
 
とされたように思う。それに加えて、木花之佐久夜毘売のような
 
「火山(月)の女神」
 
の信仰が台頭してくるように思う。桜島の例のように、火山の神は伝統的に月の神としても扱われている。また、[[蛇頭松姫大神]]のように
 
「水神女神が[[人身御供]]にされた上に、悪神化して倒される女神になる」
 
という伝承が目立つようになる。これらの3つを組み合わせて「'''[[人身御供]]'''」の祭祀がよくよく増えたのではないかと感じる。なぜなら、'''悪神に見立てた者を殺して悪神を鎮めなければならないし、誰を殺すのかを定める専属の女神まで確立されたからである'''。
 
西洋では、「'''矢の女神'''」で「'''人身御供を定める女神'''」で「'''月の女神'''」と言ったら、「'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」である。ローマからキリスト教の宣教師がやってきたとして、一体彼からどういう思想を引きずり出したのか。最終的に
 
「'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」
 
を採用して、日本の女神達を[[アルテミス]]化しよう、ともくろむことだけ採用したら、どこの誰がそれをキリスト教だと呼んでくれるのか? と考える管理人である。そこだけを採用するセンスも嘆かわしいが、宣教師からどうやって「'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」の情報を引き出したのだろう。拷問でもしたのか、と心配になる管理人である。ローマ・カトリックも異端の弾圧、異端審問に魔女狩と嘆かわしい歴史を持つ組織ではある気がするが、さすがに直接的な
 
「'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」
 
の伝導の責任を追求することは無理がありすぎるように思う。こうして
 
「月の女神の意向を受けて、男性の祭祀者が人身御供を選ぶ」
 
という制度が確立されたように思う。丹後も丹波も月信仰が強い土地のように感じる。そして、狼信仰も見られる。これらの思想はやがて東国にまで波及するようになるのである。
== 関連項目 ==

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