社名は、近世には日吉津大神宮(ひえづだいじんぐう)、伊勢宮(いせぐう)、天照皇太神宮(てんしょうこうだいじんぐう)などと呼ばれ、近世の棟札(むなふだ)には天照皇太神宮と記されている。明治初年に蚊屋島神社と改称され、現在にいたる。創立年代は不詳ですが、社領証文によって天文14年(1545)以前であると伝えられている。
近隣の旧家では現在の祭神と昔の祭神は違うと言い伝えられており、平安時代中期に成立した「日本三代実録」に記載されている伯耆国正六位上「天照高日女神」とは当社の事で、何時の頃から間違って「天照大御神」が祭られるようになったとある、とのこと。「昔の祭神」とは「天照高日女神」のことで、これが記紀神話の近隣の旧家では現在の祭神と昔の祭神は違うと言い伝えられており、平安時代中期に成立した「日本三代実録」に記載されている伯耆国正六位上「天照高日女神」とは当社の事で、何時の頃から間違って「[[天照大御神]]」が祭られるようになったとある、とのこと。「昔の祭神」とは「天照高日女神」のことで、これが記紀神話の[[下光比売命]]の別名である高比売命(タカヒメノミコト)(古事記)のことであろう、ということで元の祭神も祀りたく思い、高比賣命(タカヒメノミコト)も祀った、ということのようである。
『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年発行)には、