== 勝軍地蔵 ==
[[File:Atago Gongen.jpg|thumb|260px500px|勝軍地蔵(ギメ東洋美術館)]]
[[愛宕権現]]の[[本地仏]]。大宝年間、[[役小角]]が白山修験の開祖とされる[[泰澄]]と山城国愛宕山に登ったとき、[[龍樹菩薩]]、富楼那尊者、[[毘沙門天]]、[[愛染明王]]を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。また、[[敏達天皇]]の御代、[[日羅]]が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『[[元亨釈書]]』には[[清水寺]]の[[延鎮]]が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に[[坂上田村麻呂]]の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、[[儀軌]]などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。