創建年代とその由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、[[加夜奈留美命|賀夜奈流美命]]の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。また『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神 飛鳥四社 住吉大社」とあり、天武天皇の病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。『日本紀略』によれば、天長6年(829年)3月、神託により現在の鳥形山へ遷座した。遷座する前の場所については諸説あってはっきりしない。
また、当社がある鳥形山の地は[[天照大神]]を初めて宮中の外で祀った地「[[笠縫邑|倭笠縫邑]](やまとかさぬいのむら)」であるとする伝承もあり(有力な説は[[大神神社]]摂社の檜原神社である)、近世には[[また、当社がある鳥形山の地は天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には'''元伊勢]]'''とも称していた。
[[寛永]]17年([[1640年]])に[[高取城]]に入った[[高取藩]]主・[[植村家政]]は、高取城の[[鬼門]]に当たる当社を深く信仰した。[[享保]]10年([[1725年]])に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、[[天明]]元年([[1781年]])に藩主・[[植村家利]]により再建されている。 [[2001年]]([[平成]]13年)に[[大滝ダム]]建設に伴って移築することとなった[[吉野]]の[[丹生川上神社上社]]から旧社殿を譲り受け、天明以来200年を経て老朽化していた社殿を再建した。2001年(平成13年)に大滝ダム建設に伴って移築することとなった吉野の丹生川上神社上社から旧社殿を譲り受け、天明以来200年を経て老朽化していた社殿を再建した。
== 境内 ==
* 本殿 - もとは[[1917年]]([[大正]]6年)に再建された[[丹生川上神社上社]]の本殿で、[[2001年]]([[平成]]13年)に現在地に移築された。* 幣殿* 拝殿* 神饌所* 神楽殿* 西良殿* むすびの神石 - [[生殖器崇拝|陰陽石]]。陰陽石。
* 飛鳥井
* 旧社務所
* 新社務所
=== 摂・末社 ===
* 祓戸神社 - 祭神:瀬織津比賣神、速開都比賣神、氣吹戸主神、速佐須良比賣神
* 白髭神社
* 中の社 - 八阪神社(祭神:[[スサノオ|須佐之男神]])、金比羅神社(祭神:[[大物主]]神)八阪神社(祭神:須佐之男神)、金比羅神社(祭神:大物主神)
* 奥の社 - 皇太神社(祭神:天照皇大神)、奥の大石(祭神:御皇産霊神)
* 飛鳥山口神社 - 祭神:[[オオヤマツミ|大山都見乃神]]、[[ククノチ|久久乃知乃神]]、[[サルタヒコ|猿田彦乃神]]。飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)とも呼ばれる式内社である。「飛鳥山」はかつての皇室の御料林であり、その[[山神]]を祀ったものと考えられるが、旧鎮座地は不明である。祭神:大山都見乃神、久久乃知乃神、猿田彦乃神。飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)とも呼ばれる式内社である。「飛鳥山」はかつての皇室の御料林であり、その山神を祀ったものと考えられるが、旧鎮座地は不明である。
* 八十萬神社
<gallery>
ファイル:Two buildings at Asuka Shrine.jpg|神楽殿と西良殿
ファイル:Chozuya at Asuka Shrine.jpg|飛鳥井
ファイル:Stones with Shimenawa at Asuka Shrine.jpg|むすびの神石
File:Asukaniimasu-jinja, Asuka-Yamaguchi-jinja.jpg|飛鳥山口神社
</gallery>
== 祭事 ==