『古事記』によると、唖の[[誉津別命|本牟智和気王]](誉津別命)が呪いを解くべく出雲国に赴く際に、そのお供をするべき人物として誰が良いのかという占いをすると、曙立王が当選した。そこで、曙立王が「うけい」をすると、地に落ちて一度死んだ鷺巣池のサギが蘇り、また一度枯れた甘橿丘の樫の樹木が蘇った。そこで垂仁天皇は彼に'''倭者師木登美豊朝倉曙立王'''(やまとはしきとみとよあさくらの あけたつのおおきみ、「大和の磯城・鳥見・朝倉の曙立王」という意味)という名を与え、さらに[[菟上王]]をもお供にして、出雲を訪問させたという<ref>『古事記』中巻、垂仁天皇条</ref>。
一説に曙立王が唖の皇子の伝承と関係を持っているのは、伊勢の佐那造がこれを語り伝えたためであるとされる。伊勢の佐那近辺は古より水銀の産地として知られるが、尾畑喜一郎は佐那造が古代の水銀採掘に携わった人々であるとし、気化した水銀を長時間呼吸することによって喉の病を患い、その職業病が誉津別命と曙立王の伝承を結びつけたとしている。谷川健一も、『日本書紀]』巻第六に現れる「天湯河板挙」と鍛冶氏族との関連性を述べ、「本牟智和気」という皇子の名前は金属精錬の実態を表現していると述べている一説に曙立王が唖の皇子の伝承と関係を持っているのは、伊勢の佐那造がこれを語り伝えたためであるとされる。伊勢の佐那近辺は古より水銀の産地として知られるが、尾畑喜一郎は佐那造が古代の水銀採掘に携わった人々であるとし、気化した水銀を長時間呼吸することによって喉の病を患い、その職業病が誉津別命と曙立王の伝承を結びつけたとしている。谷川健一も、『日本書紀』巻第六に現れる「天湯河板挙」と鍛冶氏族との関連性を述べ、「本牟智和気」という皇子の名前は金属精錬の実態を表現していると述べている<ref>『白鳥伝説』(上)p220 - p228、集英社文庫、1988年</ref>。
== 佐那神社 ==