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、 2024年12月14日 (土)
'''亀石'''(かめいし)とは、奈良県高市郡明日香村川原にある石造物。益田岩船や酒船石と並び、飛鳥の石造物の代表的な遺跡として知られる。
== 形状 ==
[[ファイル:Kameisi 02.jpg|thumb|300px|東側(向かって右)の下にある石矢の跡]]
長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な[[花崗岩]]に[[カメ|亀]]に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。そのユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。
'''亀'''石と呼ばれているが、亀であれば顔は楕円形で目は横に付くが、顔が三角形であることや目が上に飛び出しているなど、むしろ[[カエル]]だとの説がある<ref>[[奧田尚]]『石の考古学』学生社 2002年 p.226</ref><ref name="井上門脇" />。しかし、「[[野中寺]]旧伽藍跡」の塔舎利心礎に同様のレリーフ加工がされていたことから、亀石も亀を表した説が大きくなっている{{Sfn|河上|2003|ps=第1章4節}}{{Efn|亀の造形物は何かを背負う形で表現されるので、野中寺旧伽藍跡では塔を乗せていたので亀だと判断した{{Sfn|河上|2003|ps=第1章4節}}。}}。顔部分の仕上げは丁寧だが、背などは手を加えられておらず、下腹部東半面には、益田岩船と同様の格子状の溝がある<ref name="井上門脇">井上光貞、門脇禎二『飛鳥』吉川弘文館 1987年 p.279-280</ref><ref name="奈文研加工" />。上部が自然石のままで下面東半分が格子状、西半分が平面に加工されていると指摘し、現在の下面が本来の上面で実は上下逆であったという説も奈良国立文化財研究所の報告書で出されてはいるが<ref name="奈文研加工">奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.53</ref>、有力視はされていない{{Sfn|河上|2003|ps=第1章4節}}。
== 建造時期・目的 ==
建造時期、目的共に不明で、いくつかの説が出されているものの、結論は出ていない。
* [[川原寺]]の所領の西南隅を示す石標<ref>奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.50-51</ref>、条里の境界説<ref name="井上門脇" />。
* 未完成の[[猿石]]説<ref name="井上門脇" />。
* 大化3年(647年)[[新羅]]の[[武烈王|金春秋王子]]が外交使節として来朝するにあたっての歓待用に、新羅渡来系石工に造らせ、周囲で舞楽をした説<ref>門脇禎二『新版 明日香 - その古代史と風土』NHKブックス 1977年、p.212-216</ref>。
* [[仏教]]伝来以前の土俗[[民間信仰]]の対象物説<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html |title = 亀石 - 公益財団法人 古都飛鳥保存財団|accessdate=2020-07-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220520231538/https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html |archivedate=2022-05-20 |}}</ref>。
* [[斉明天皇]]の時代に[[グリフォン]]像を造ろうとしたが、[[乙巳の変]]での[[蘇我氏]]滅亡により、加工途中で放棄された説<ref>[[松本清張]]『ペルセポリスから飛鳥へ:清張古代史をゆく』日本放送出版協会 1979年、p.157、202</ref>。
== 伝説 ==
伝説によると、[[奈良盆地|大和盆地]]一帯が湖であった頃、川原の[[ナマズ|鯰]]と対岸の[[當麻町|当麻]]の[[ヘビ|蛇]]の間で争いがあり、後者が勝った結果、湖水を全て取られて干上がり、棲んでいた亀はみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、亀石を造って供養をしたという。亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、[[大和国]]一円は泥の海と化すという<ref>[https://web.archive.org/web/20210214190858/https://asukamura.com/sightseeing/527/ 明日香村観光ポータルサイト 旅する飛鳥「亀石」]2019年8月5日閲覧 2022年11月23日リンク切れアーカイブ差替え</ref>。実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで[[大和川]]がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っている<ref>{{Cite journal |和書|author=高田理夫 |authorlink=高田理夫 |title=亀の瀬地域の地すべりについて |date=1964 |publisher= 公益社団法人 日本地すべり学会|journal= 地すべり|volume=1 |issue=2 |issn =1884-3956 |doi=10.3313/jls1964.1.2_61|naid= |url = https://doi.org/10.3313/jls1964.1.2_61|accessdate = 2019-10-20|pages= 61-63|ref= }}</ref>。
== 参考文献 ==
** 河上邦彦, 2003, 飛鳥を掘る, 講談社選書メチエ, 講談社, isbn:4-06-258258-9
== 関連項目 ==
* [[竜田姫]]
== 外部リンク ==
* [http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/04stone/03east_area/kameishi/ 奈良県観光公式サイト 亀石]なら旅ネット
== 脚注 ==
{{DEFAULTSORT:かめいし}}
[[Category:日本神話]]
[[Category:遺跡]]
[[Category:亀]]
[[Category:民族他]]