当初の寺領は淳和天皇より150町歩の寄進があり合わせて250町歩となったが、変遷を経て現在は境内地の20町歩となった。山号は「武庫山」([[六甲山]]のこと)であったが、光玄大和尚が現在の「甲山」に変更している。
神呪寺の住所は上記の通り甲山町であるが、これとは別に寺の南東約3km離れた地、[[東海道新幹線]]と[[阪急今津線]]の交差点付近に「神呪町」という地名が存在する。この地名はこの寺が中世に一時的に移転したことを示しているともいわれている。神呪寺の住所は上記の通り甲山町であるが、これとは別に寺の南東約3km離れた地、東海道新幹線と阪急今津線の交差点付近に「神呪町」という地名が存在する。この地名はこの寺が中世に一時的に移転したことを示しているともいわれている。
== 信仰 ==
神呪寺の本尊・[[如意輪観世音菩薩]]坐像([[重要文化財]])は[[大阪府]][[河内長野市]]の[[観心寺]]、[[奈良県]][[宇陀市]]の[[室生寺]]の如意輪観音像と共に日本三如意輪観音の一つとされている。家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされ、秘仏となっている。融通さん、融通観音とも称されている。神呪寺の本尊・如意輪観世音菩薩坐像(重要文化財)は大阪府河内長野市の観心寺、奈良県宇陀市の室生寺の如意輪観音像と共に日本三如意輪観音の一つとされている。家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされ、秘仏となっている。融通さん、融通観音とも称されている。
5月18日に融通観音大祭があり、本尊の開扉がある。
大師堂に祀られている弘法大師像は、大師58歳の姿で厄除大師として信仰されている。また、甲山大師と称されている。
== 境内 ==
* 本堂 - [[天保]]11年([[1841年]])再建。
* 弁天堂
* 大師堂 - [[1912年]]([[大正]]元年)再建。
* 庫裏 - [[1969年]]([[昭和]]44年)10月21日再建。
* 神呪寺会館(摩尼閣) - 1969年(昭和44年)10月21日再建。
* 庭園 - [[枯山水]]庭園。
* 十三重石塔
* 不動堂 - [[1909年]]([[明治]]42年)再建。
* 恵光堂 - [[2011年]]([[平成]]23年)10月18日建立。
* 茶堂 - 接待所ではあるが、[[阿弥陀如来]]を祀る。
* 鐘楼
* 納骨堂 - [[1936年]](昭和11年)建立。
* [[多宝塔]] - [[1980年]](昭和55年)10月18日建立。
* [[稲荷社]] - 祭神:甲山稲荷大明神、白瀧大明神、白菊大明神
* 白髭大明神社
* 善女龍王社
* 地蔵堂
* 詠歌堂
* [[西国三十三所]]石仏群
* [[役行者]]像
* [[弁財天]]社
* 弁天池
* 仁王門(西宮市指定有形文化財) - [[文化 (元号)|文化]]元年([[1804年]])再建。三間一戸八脚門(中央高屋根四脚門)という一風変わった形をしている。この門の後ろには参道を横切る形で甲山大師道という幹線道路が走っている。
* 甲山八十八ヶ所 - [[寛政]]10年([[1798年]])に[[四国八十八ヶ所]]の各札所の砂を持ち帰って作られた。
== 文化財 ==
=== 重要文化財 ===
* 木造[[如意輪観音]]坐像 木造如意輪観音坐像 *:[[平安時代]]。当寺の本尊。寺伝にいう空海の時代の作ではなく、10世紀後半から11世紀前半の作とされる。如意輪観音像には6臂像と2臂像があるが、この像は6臂像である。通常の如意輪観音像は右脚を立て膝とするが、本像は右脚を斜めにして左脚の上に乗せた珍しい形をしており、頭部が斜め上向きになっている点と合わせ、図像的に珍しい作例である。平安時代。当寺の本尊。寺伝にいう空海の時代の作ではなく、10世紀後半から11世紀前半の作とされる。如意輪観音像には6臂像と2臂像があるが、この像は6臂像である。通常の如意輪観音像は右脚を立て膝とするが、本像は右脚を斜めにして左脚の上に乗せた珍しい形をしており、頭部が斜め上向きになっている点と合わせ、図像的に珍しい作例である。* 木造[[聖観音]]立像 木造聖観音立像 - 平安時代。* 木造[[不動明王]]坐像 木造不動明王坐像 - [[鎌倉時代]]。鎌倉時代。* 木造[[空海|弘法大師]]坐像 木造弘法大師坐像 - 鎌倉時代。
== その他 ==