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2 バイト除去 、 2022年3月20日 (日) 10:10
* 遠州の山奥に住んでいたダイダラボッチが子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで'''浜名湖'''となった。
* 現在、東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)や、さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)は、ダイタ坊(ダイダラボッチ、ダーダラボッチ)の足跡に由来すると言われている<ref>『代田のダイダラボッチ』(きむらけん著)北沢川文化遺産保存の会紀要第5号、2017年/『浦和市史民俗編』浦和市総務部市史編さん室、昭和55年、793頁。</ref>。なお、代田のダイダラボッチについては2021.3.28日に小田急線世田谷代田駅前にダイダラボッチをかたどった駅前広場が完成した。これを記念して当日づけで『巨人伝説読本 代田のダイダラボッチ』(著作:きむらけん、発行:世田谷代田駅 駅前広場記念事業委員会)が発行された。「代田ダイダラボッチ音頭」も作曲された。<ref>代田ダイダラボッチ音頭, 2021-03-28, https://www.youtube.com/watch?v=liKqjjoN218</ref>
* 長野県戸隠山の'''大座法師池'''、三重県]]志摩郡の大王町はダイダラボッチに由来する地名である。、三重県志摩郡の大王町はダイダラボッチに由来する地名である。
* 静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。
* 相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。また、相模原市南区に「'''大沼・小沼'''」の地名が残るが、かつて実在したこの二つの沼はデイラボッチが尻餅をついた跡であり、その間に「ふんどし窪」という溝状のくぼ地があったという伝承もある。

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