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24 バイト追加 、 2024年12月3日 (火)
== 伝承と信仰 ==
* 貫前神社に関する伝承
: 昔、天竺の南に狗留吠(くるばい)国という国があった。その'''狗留吠国'''に玉飾(ぎょくしき)大臣という大金持ちが住んでいた。玉飾大臣には5人の子どもがいた。5番目の子どもは好美女(こうびじょ)という名前で、国中で一番美しいと評判の娘だった。ある日のこと、その評判を聞きつけた狗留吠国の国王が、妃に迎えたいと玉飾大臣に申し込んだ。好美女は国王のもとに行くのは嫌だと父に言った。大臣は嫌がる娘を国王のもとへ行かせるのをかわいそうに思い、国王の申し入れを丁重に断った。それを聞いた国王は、たいそう怒り、家臣に玉飾大臣を討ち取り、娘の好美女を連れて来るよう命じた。<br>家臣は夜中に大臣の屋敷に攻め入った。大臣は好美女に持てる限りの宝物を持たせ、すぐに屋敷から逃げるように言った。国王の家臣は次々と大臣の家来を切りつけ、屋敷に火をかけながら屋敷の奥に討ち入って来た。しかし好美女を見つけることができず、逃げた場所を言わない大臣を殺してしまった。好美女は付き添いの家来と燃えさかる屋敷の抜け穴からいそいで逃げ出した。<br>
何日も逃げ続け、国はずれの抜堤(ばつてい)河にたどり着いた。'''河に持ってきたほこ鉾を突き立て'''、鉾の上に好元団(こうげんだん)という円形の敷物を敷いて仮の住まいとした。
国王は逃げた好美女を探すように家臣に命じた。国中を捜索していた家臣はついに好美女を見つけ捕えようとした。好美女は国王が父の言うとおり恐ろしい人であったと納得し、父や家族の居なくなってしまったこの国を出る決意をした。<br>
好美女は家来が国王の家臣と戦っているうちに、鉾を引き抜き、好元団を美且(びしょ)と美好(びこう)という才高き美女に持たせると、用意していた空を飛ぶことのできる天甲船(あめのかぶとふね)に乗り込んた。国王の家臣は火の着いた矢を放ち'''船を燃やそうとした'''が、天甲船は美且と美好のたくみな操縦により空へ向けて出発した。天甲船は狗留吠国を離れ、天竺を離れ、ついに日本にたどり着いた。<br>
日本を空から見渡し、上野国と信濃国の境にある笹岡山(逆鉾-さかほこ-山)に船を泊めることにした。好美女達は山頂にゆっくりと着陸し、そして鉾を逆さに突き刺すと好元団を敷き、3人で暮らし始めた。船の中には抜堤河の水が積んであり、今後国王が追ってきて火の雨が降ってきたらこの水で消しましょう。それまでは大切に守りましょう。と3人で誓い合った。<br>
何年かの月日が流れた。信濃国を統一した諏訪の建御名方命(たてみなかたのみこと)が、母神の居られる二荒(ふたら)山(日光山)へ通っている時、笹岡山にとても美しい娘が住んでいるとお聞きになり、たずねていった。建御名方命は好美女を一目で好きになり、后がいるにもかかわらずついに結ばれてしまった。<br>
后である八坂止女命(やさかとめのみこと)は命の様子のおかしいのに気づき、家来を問いただしたところ、命が笹岡山の美女と密会していることをつきとめた。命は家来より后が密会に気づき大変な剣幕で怒っていることを聞き、たいそう慌てて后の目の届かない上野国の富岡に社を建てて好美女を隠して住まわせることにした。好美女は船の水を守らなければならないと最初は承諾しなかったが、船頭の一人を水守として山に留めることで納得してもう一人の船頭とともに山を降りました。好美女は新しい技術や知識を里の人々に伝え、姫神として人々の信望を集めた。いつからか姫神は山を降りるとき鉾を抜いて脇に差して来たので、貫前抜鉾神と呼ばれるようになった。<br>
また笹岡山は姫が船を伏せた山なので荒船山と呼ばれるようになり、山に残った水守は水が絶えないように守り続け、荒船明神と呼ばれるようになった。どんな日照りの時も山頂の水が絶えないのは、いつでも荒船明神が大切な水をお守りしているからだ(「神道集」、「諏訪大明神畫詞」などから主要な一部分を抜いて要約し、物語風にアレンジしてみたものとのこと。)<ref>[https://plaza.rakuten.co.jp/uchiyamawakuwaku/diary/200707010000/ 荒船山と古代の信仰のはなし その3] 、内山のワクワク音符見つけ隊(最終閲覧日:24-2-03)</ref>。

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