有旅は山布施の南にある地区。こちらの犬神は暴れて産土神を追いかける犬で、「犬の皮をかぶった神」と言おうか。これは「疫病神」系のお犬様と考える。長者とは'''[[羿]]'''([[黄帝]])のこと、僧は[[炎帝神農|炎帝]]のこと、犬神は'''[[伏羲]]'''、産土神は'''[[女媧]]'''といえる。里芋やゴマが禁忌なのは、本来それが女神から発生したものだからではないだろうか。こちらの犬石の首は、石材として使ってしまってないそうである。元は、もっと違った伝承があったのかもしれないが、ともかく「'''首を取った'''」ことにしたかったので、こういう話を当てはめた傾向もあるのではないか、と思う。誰の首を取りたかったのかは、まあ「ご愛嬌」ということで。
犬石に伝わる2つの犬神の伝承は、元々別系統のものだったと考える。産土神が犬を説得する話は、中国の「西王母と[[黒耳]]」に近い話に思える。その一方、産土神が犬神に追い回される話は、もっとハイヌウェレ的な、南から里芋耕作の伝播と共に来た神話と考える。」に近い話に思える。その一方、産土神が犬神に追い回される話は、もっとハイヌウェレ的な印象を受け、南から里芋耕作の伝播と共に来たもので、縄文系の人々の神話と考える。
そして、一番怖いと思ったのは、雨乞いで井戸に縛った仏を投げ込む、というもの。おそらく古代において、雨乞いで人身御供を用いていた名残なのではないだろうか。人身御供は水神に捧げる、というよりは、本来の意味としては「'''水神に見立てた人身御供を疫病神に捧げて慰撫する'''」というものだったはずなのだが、その点の概念はもう混乱しているように思う。当地での大国主命は「'''犬神'''」としては敬われる傾向が強いのに、人間の「'''長者'''」になると悪い神の傾向が強くなるように思う。長楽寺の井戸が「長者の井戸」と呼ばれるのは、この長者がかつては'''水神'''だった名残なのではないか、と思う。