セレウコス朝(前330-150)とアルサス朝(前250-226)の時代、つまりヘレニズム文化の影響を受けた帝国では、ウルスラグナはアーレースと同一視され、ヘーラークレースと結び付けられ、ギリシャ語でアルタグネス(Artagnes)と名づけられた<ref>Duchesne-Guillemin, 1984</ref>。このような習合は彫像や図像によく現れており、特にコンマゲネのアンティオコス1世テオスの碑文には、3つの名前が一緒に出てくる。
バフラムが旅人の守護神とされていたことは、ベヒストンの幹線道路にある等身大のバフラムの岩像が物語っているのかもしれない。そこでバフラムは、手にゴブレット、足元に棍棒、下にライオンの皮を敷いて寝転んでいる。バフラムが'''旅人の守護神とされていた'''ことは、ベヒストンの幹線道路にある等身大のバフラムの岩像が物語っているのかもしれない。そこでバフラムは、手にゴブレット、足元に棍棒、下にライオンの皮を敷いて寝転んでいる。
ササン朝初期には、バフラムはやはりギリシャのヘーラークレスに相当する神として表現されている。ナクス・エ・ラジャブIIIにあるアルデシール1世のレリーフでは、バフラムはアフラ・マズダと王の間の2人の小さな人物の1人として登場している<sup>''(要出典)''</sup>。そこでは、左手に獅子の皮を持ち、右手に棍棒を振りかざしている。もう一人の小さな人物 -バフラムに敬意を表しているように見える- は、後の国王バフラム1世である。