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222 バイト追加 、 2022年3月18日 (金) 19:03
また、「御霊」とは、普通「死霊」のことであるので、牛頭天王(須佐之男)が公然と「死霊扱い」されている点も、個人的には注目する。古代中国には、蚩尤という神を殺して首をはね、頭が饕餮となった、という伝承もある。それに対応するように、良渚文化の鉞などには、「王権の象徴」として「首のみの神」が描かれている。また、川の神が弓の名手・羿に調伏された、という伝承もある。「'''饕餮が殺された川の神である'''」という良渚文化に起源を持つ信仰が日本に持ち込まれて「'''須佐之男が殺された川の神である'''」という姿に変化したものが、「祇園信仰」とはいえないだろうか。であれば、須佐之男が「川の神」であるのに「'''川の神」として扱われず、「災厄を起こすから鎮めねばならない祟り神(潜在的には川の神)'''」として扱われる理由ともなり得る気がするのである。
「八坂」や「八日堂」など、「八」の数字は伏羲の「八卦」に通じるものでもある。「八坂」や「八日堂」など、「八」の数字は伏羲の「八卦」に通じるものでもある。「蘇民将来符」とは、人の運命を定める伏羲が、災厄をよけるために作り出した護符(胡瓜あるいは瓢箪と同じ物)という潜在的な意味があるのではないだろうか。
== 護符 ==

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