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6 バイト追加 、 2024年10月31日 (木)
中国ではどうだったかというと、黄河文明である仰韶文化(紀元前5000年~紀元前2700年)から、蛙と人を融合させたような人蛙文(じんあもん)を描いた彩陶が出土している。その一方で、墓から白虎と青竜図と思われるものが発掘されており、「竜」という概念がすでに浸透しだしており、仰韶では'''「水に関連する神」として蛙と蛇が両立していたと推測される'''。また、長江側のナシ族には、「蛙の死体から五行が発生した」という盤古伝説のような伝説がある<ref>日本の神話伝説と中国雲南省納西族の神話伝説の諸問題を巡って、p20、1991、彭飛</ref>。その他「蛙が太陽を飲んだ」という伝承や「蛙が雷神の息子で人々を助けた。そして人は人を食う習慣を改めた。」という伝承がある。月に蝦蟇が住むという話も有名だから、古代中国では「蛙」とは単なる水神ではなく、天と人々の間の中間的な神としての性質もあったように思う。その他「蛙が太陽を飲んだ」という伝承や「蛙が雷神の息子で人々を助けた。'''そして人は人を食う習慣を改めた。'''」という伝承がある。月に蝦蟇が住むという話も有名だから、古代中国では「蛙」とは単なる水神ではなく、天と人々の間の中間的な神としての性質もあったように思う<ref>中国の伝承曼荼羅、p135-137、百田弥栄子、1999、三弥井書店</ref>。

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