'''蛙(水(風雷雨)神)+ 饕餮(火木土金神)= 饕餮(火(雷)木土金神)= 蛙饕餮(五行神)'''
'''蛙饕餮(五行神)>>> 蛇饕餮(五行神)と変換'''
'''蛇饕餮(五行神)- 蛇共工(水(風雷雨)神)= 饕餮(火木土金神)饕餮(火(雷)木土金神)'''
'''蛙饕餮の一部(五行神のうち王権にとって都合の良い部分)+ 祝融(火の職能神)= 天帝(北斗神、星神)'''
に変えてしまったと思われる。さほどメジャーではなかったに変えてしまったと思われる。蛙も饕餮も「雷神」としての性質は持っているが、蛙は「雨を降らす雷神」、饕餮は「稲妻と火をもたらす雷神」とされたのではないだろうか。 さほどメジャーではなかった'''祝融的な伝説上の存在に、火に関するものを中心として職能神(金属の精錬や木の加工技術の神)としての性質を与え、火神である祝融として纏めた'''と考える。自然や自然現象を敬って豊穣を願う思想から、自然にあるものを人間が役立てるように「加工する技術」を重んじるようになり、「技術の神」というものを新たに作ったといえる。ニンギジッタ的な神が古い「水神」であったとするならば、神に祈って安寧を得るのではなく、治水技術で水神の動きをコントロールすることを重要視するようになったのだろう。例えば、古代中国では伝説上の皇帝たちにとって、「治水」とは最重要の課題だったと語られることが多い。少なくとも、'''表面上は'''この宗教改革はこのように感じられるように思う。
ただし、後には北斗信仰の中には「北斗のひしゃく」である北斗七星が、「地上に水をもたらす」という考え方も発生したように思うので、技術を重んじるような現代的な合理的な考え方から見れば、これはかなりつじつまが合わない突飛な考えのようにも見える。水とは、湖や川や雲からもたらされるものではないだろうか。古代の人々にとって、何故雲が発生するのか科学的に理解できなくても、現象は理解できたはずだ。