とすると、イランの伝承では「'''饕餮+火'''」である英雄が、シュメールではザッハークに類似した蛇神とされていることが分かる。シュメールは期限前3500年頃~前3100年頃の文化なので、時代的にはこちらの方が古いのだが、中国神話と比較すれば、イランの伝承の方が「祝融・共工型神話」に近い。形が崩れているように思えるのは、むしろシュメール神話の方だ。これは一体、どういうことなのだろう?
シュメール文化は良渚文化が始まるよりやや前の文化なので、紀元前4000~3500年頃に、ある種の宗教改革が起こり、それまで存在しなかったか、あるいはさほどメジャーではなかった「'''祝融・共工型神話'''」が重要視されるようになり、シュメールのニンギジッタに相当する神も「'''悪役'''」として大きく取り上げられるようになったのではないだろうか。そして、古い神話に手が加えられ、神話の再編が行われたのだと考える。ニンギジッタは神話再編の上で'''「スケープゴート的」に悪役とされてしまった意図的に「スケープゴート的」に悪役とされてしまった'''のだろう。
再編よりも古い時代は
'''火饕餮(火雷神)蛙(水(風雷雨)神)+共工(水雷神)=古祝融(火と水と雷)饕餮(火木土金神)= 蛙饕餮(五行神)'''
'''古祝融(火と水と雷)蛙饕餮(五行神)-共工(水雷神)共工(水(風雷雨)神)=饕餮火(新祝融神(火雷神))饕餮(火木土金神)'''
'''蛙饕餮の一部(五行神のうち王権にとって都合の良い部分)+ 祝融(火の職能神)= 天帝(北斗神、星神)'''
に変えてしまったと思われる。河姆渡文化では、2羽の鳥が「太陽と月」と思われるものを支える図が描かれる。このうちの1羽が饕餮、もう1羽が共工だったとする。彼らは、本来仲良く太陽と月を支える鳥とされていて、これを「に変えてしまったと思われる。さほどメジャーではなかった'''祝融的な伝説上の存在に、火に関するものを中心として職能神(金属の精錬や木の加工技術の神)としての性質を与え、火神である祝融として纏めた'''と考える。自然や自然現象を敬って豊穣を願う思想から、自然にあるものを人間が役立てるように「加工する技術」を重んじるようになり、「技術の神」というものを新たに作ったといえる。ニンギジッタ的な神が古い「水神」であったとするならば、神に祈って安寧を得るのではなく、治水技術で水神の動きをコントロールすることを重要視するようになったのだろう。例えば、古代中国では伝説上の皇帝たちにとって、「治水」とは最重要の課題だったと語られることが多い。少なくとも、'''表面上は'''この宗教改革はこのように感じられるように思う。 ただし、後には北斗信仰の中には「北斗のひしゃく」である北斗七星が、「地上に水をもたらす」という考え方も発生したように思うので、技術を重んじるような現代的な合理的な考え方から見れば、これはかなりつじつまが合わない突飛な考えのようにも見える。水とは、湖や川や雲からもたらされるものではないだろうか。古代の人々にとって、何故雲が発生するのか、科学的に理解できなくても、現象は理解できたはずだ。 河姆渡文化では、2羽の鳥が「太陽と月」と思われるものを支える図が描かれる。このうちの1羽が饕餮、もう1羽が共工だったとする。彼らは、本来仲良く太陽と月を支える鳥とされていて、これを「'''祝融図'''」と人々は呼んだかもしれない。でも、この似たような鳥のうちの1羽がもう1羽を殺す、あるいはもう1羽が死ぬ、という伝承もあったと思われる。例えば、カストールとポリュデウケースのように。こうして、'''カストールから「カス」を外し、「ポリュデウケース」から「ポリュ」を外したので、残った2つを足して「トウトウ」という名しか残りませんでした'''、という感じになった。残った「トウトウ」は、「新しいトウトウ」という意味で、「トウトウ・ニュー」と呼ばれるようになったかもしれない。ともかく、再編前は饕餮は、「'''火饕餮'''」という名前だったのに、再編後は「'''饕餮火'''」という名前になった、というそんな感じなのだと思う。そこから、更に「火の神・祝融」を分離したんで、中国では饕餮という名しか残らなかったのかもしれないし、分離する神が増えるほど、神としての地位は少しずつ低下していったものと思われる。シュメール文化は良渚文化が始まるよりやや前の文化なので、紀元前4000~3500年頃に、それまでなかった「'''祝融・共工神話'''」が発生し、良渚文化の台頭に寄与したかもしれないと考える。