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600 バイト追加 、 2022年3月6日 (日) 09:28
=== 馬の項・まとめ ===
「馬の皮」が蚕の豊穣に関する「魔法のアイテム」である点、「馬の皮」が女性、特に織女を殺すものである点が重要と考える。「馬の皮」は当然生きているものではないので「死んだ馬神」=「冥界神」とはいえないだろうか。少なくとも、確固とした「冥界神」の地位を与えられる前に、'''「『死んだ神』は結婚もするし、それに伴って女性(妻)を殺し、その結果、豊穣(蚕など)が女性から生まれる」'''という思想があったことが分かる。
髭は男性らしさの象徴でもあるので、髭を切ることは須佐之男の男性としての機能の喪失(去勢)、地上追放は神としての処刑を暗喩しているように思える。日本神話の特徴は、殺された女神が「織女」と「大宜津比売」の二つに分けられており、織女が殺されても何も発生しないが、大宜津比売の方に、穀物と蚕への化生が纏められている。髭は男性らしさの象徴でもあるので、髭を切ることは須佐之男の男性としての機能の喪失(去勢)、地上追放は神としての処刑を暗喩しているように思える。日本神話の特徴は、殺された女神が「織女」と「大宜津比売」の二つに分けられており、織女が殺されても何も発生しないが、大宜津比売の方に、穀物と蚕への化生が纏められている。そして、須佐之男は、織女を殺した場合には罰を受けたが、大宜津比売殺害では罰を受けていないので、須佐之男のエピソードの中には、人身御供は許されざるもの(織女の場合)、人身御供は肯定されるもの(大宜津比売)の2つの思想が含まれていることになる。これが岩見の民間伝承になると大宜津比売は「面白半分で殺された」となり、「死の必要性」が否定されて、再び「人身御供は許されざるもの」とされることは興味深く感じる。
ハイヌウェレ神話と比較すると、ハイヌウェレは祭りに参加した者たちに殺されるのだから、祭りの参加者は『死んだ神』に扮した'''「現人神」'''であることが分かるし、大地に埋められて殺されるのだから、'''「大地」もまた死んだ神の一部とみなされていた'''ことが分かる。また、「下位の女神の死」が上位の女神の機能にも何らかの打撃を与えるものであることも示されている。

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