==== 四川における「蚕女(馬頭娘)」信仰 ====
『太平広記』が引用した『原化伝拾遺』には続いて、蚕女の遺跡は広漢市に存在し、什邡市・綿竹市・徳陽市の人々が毎年宮観にある少女の塑像に馬の皮を着せて「馬頭娘」と呼び、桑や蚕を供えて祈る儀式があったという。また、徳陽には蚕女の廟や墓が伝わったとされているが、清の時代に洪水の影響で荒廃したと、同治]3年(1874年])編纂の『徳陽県志』は伝えている。
=== 須佐之男と織女 ===
古事記には
<blockquote>天照大御神が神聖な機織屋にいらっしゃって、神にお供えする衣服を機織女に織らせなさっていた時、須佐之男命がその機織屋の棟に穴をあけて、毛色のまだらの馬を尻のほうからさかさまに皮を剥ぎとって穴から落とし入れたので、機織女はそれを見て驚き、機具の梭で陰部を突いて死んでしまった。
それで天照大御神はこの事件を見て恐れて、天の岩戸を開き、その戸を閉ざしておこもりになられた。その後、速須佐之男は高天原から罰として、髭を切り、手足の爪を抜かれて追放された。<ref>日本古典文学全集1 古事記・上代歌謡 荻原浅男他校注・訳 小学館 1973年 80-85p</ref></blockquote>
とある。
== 参考文献 ==